G3とB3に、孫娘がどうしても伝えたかったこと
2026年に入り、B3の圧迫骨折による入院、G3の下血と心不全、そしてB3の腎臓がんによる腎臓摘出手術。
波瀾万丈だったこの一年。
「じーちゃんと、ばーちゃんが死んじゃう前に、絶対、絶対、合格したい。」
そんな強い思いを胸に、娘は米国弁護士試験に挑戦していました。
3度の不合格を経験し、心が折れそうになりながらも、諦めずに迎えた4回目の挑戦。
そして2026年10月ついに合格しました。

娘はようやく、G3とB3に直接、合格の報告をすることができました。
その姿を見ながら、私はこれまでのことを思い返していました。
ここまで来るのに5年。
長かった。本当に長かった5年間でした。
親の私たちも仰天した、突然の告白
大学卒業後、内定を得て帰国した娘。
ところが、どうしても国際弁護士になりたいという夢を諦めきれなかったようです。
せめて一生後悔しないように、自分自身が納得できるようにと、親にも相談せず、大学院(ロースクール)の受験をして帰ってきました。
不合格だったら、きっぱり夢を諦めるつもりだったのだと思います。
ところが、思いがけず合格。(本人もびっくり!)
学費や海外での生活費のことを考えると、とても親には言い出せず、悶々と悩む日々を過ごしていたようです。
内定した会社の研修に行くたびに、顔から魂が消えていくような娘を見て、
「なんかおかしい。どうしたんやろ……」
とは思っていました。

そんなある日、突然、娘が泣きながら話し始めました。
「実はロースクールを受験して帰ってきた。不合格で諦めるつもりやったけど、合格して学ぶチャンスが与えられた。行かせてほしい。勉強が大変なのは分かっている。学費もめっちゃかかるし、めっちゃ迷惑をかけるのも分かっとる。けど、このままでは毎日後悔して生きていくことになる。」
涙をポロポロこぼしながら、訴えてきました。
突然の話に、腰を抜かしそうになる私たち。
しかも、入学金を納めなければ合格が無効になってしまうという、まさかの2日前!

夫と娘と3人で緊急家族会議です。
とりあえず、俺たちの老後資金のことは考えるのをやめよう……。
夫婦で覚悟を決め、娘を送り出すことにしました。
腹をくくった夫とは反対に、私はこれから支払っていく学費を思うと目眩がし、胃がキリキリするばかり💧
そこからは、必要な書類をそろえ、奨学金の申請準備、国境を越えてのアパート探し、引っ越しと、目まぐるしく物事が進んでいきました。
今思い返しても、あのときの私たち夫婦の決断は、人生の大きな分岐点だったと思います。
娘の背中を押したG3

この書籍の177ページに、5年前に進路に悩み、苦しんでいた娘が登場しています。


G3が娘にかけた言葉です。
「後悔しないように、やりたいことをやったらええと思う。もし、勉強が大変だったら、そのときは帰ってくればええんや。若いうちは、いっぱい失敗して、やり直せばええんや。お金の失敗は取り戻せたとしても、時間は取り戻せないから」

「おじいちゃんは、高校を卒業したとき、親に就職を反対されて、跡をついで電気屋になった。でも、84歳になった今でも、誘われていた近鉄に入社して製図を描きたかったと、後悔している。だから、後悔しないように、やりたいことをやったらええと思う。」
この言葉が、娘の背中を思い切り押したのです。
私たち夫婦は、商業高校と工業高校を卒業した二人です。大学進学ですら、知識もなければ経験もない。メジャーって何?単位って何?センター試験とは???だったのに、
ましてや、大学院へ進学するということが、そもそもどういうことなのか。海外で法律を学び、国際弁護士を目指すという道が、どれほど大変なものなのか。分からないことばかりでした。「頑張れ!」とも「大丈夫!」とも、なかなか娘にかける言葉が出てこない。
そんなとき、(ある意味、無責任にも🤪)娘の背中を押したのがG3でした。
G3は82歳からミシンを始めた人です。
もちろん、私たち同様、大学経験はありません。あるのは人生経験のみ。
でもG3は、人生の後半になってから新しい世界に出会い、自分の可能性を広げてきました。
だからこそ、これから新しい道へ進もうとする孫の気持ちを、応援してくれたのだと思います。
あのとき、G3が背中を押してくれたこと。
それが、娘の人生を大きく変える一歩になりました。
けれど、その先に待っていた道のりは、私たちが想像していた以上に険しいものでした。
小さなころ、病気と闘っていた娘
娘は幼稚園のころからずっと喘息を抱えていました。
発作で学校を休むことも多く、入院も数え切れません。
学校生活の半分は、病気のために思うように過ごせなかったと言ってもいいくらいです。
元気に学校へ通い、友達と過ごす。そんな当たり前に思えることが、娘にとっては当たり前ではありませんでした。
そんな娘が、やがて海を渡り、国際弁護士を目指すことになるなんて。
何度も挫けて、泣いて。それでも諦めなかった
ロースクールでの生活は、苦労の連続だったことでしょう。大学で法律を専攻していたわけでもなく、初めて出会う法律の専門用語に大苦戦。数々の壁を乗り越え、ものすごい努力を重ねて、ようやく卒業しました。
でも、そこがゴールではありませんでした。
アメリカへ再度渡り、司法試験に挑戦する必要がありました。もう一つの長い戦い。
1回目。不合格。
2回目。不合格。
3回目。不合格。
試験に挑戦することも、結果を待つことも、次に向かって立ち上がることも、どれほど大変だったことでしょう。
何度も挫けて、泣いて。頑張っても結果が出ない。努力しても思うようにいかない。
「身の程知らずの自分なんだ。身の丈に合っていない挑戦をしているんだ。」
そう言って、床に突っ伏して泣くこともありました。
そんな娘を見守る私たちも、胸が苦しくて。できることは、話を聞くこと。励ますこと。そして、もう一度立ち上がる娘を信じること。
そんな日々の中で、私たちの心にも響く聖書の言葉があります。
「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」
(ピリピ人への手紙 4章13節)
この聖句は、頑張れば必ず試験に合格できる、という意味ではないと思います。
思いどおりにいかないときも、苦しみの中にいるときも、自分の力だけでは乗り越えられないと感じるときも、神さまに支えられて歩んでいく。
娘が何度も涙を流しながら、それでも挑戦を続けた姿を思うと、この言葉が心に浮かびます。
「飛行機代は俺が出すから」
娘が司法試験に挑戦していたころ、弟である息子は、すでに社会人になっていました。
あるとき、娘が不合格になったときのことです。離れて暮らす息子から、私にLINEが届きました。
「飛行機代は俺が出すから、もう一回受けさせてあげてほしい」
その言葉を聞いたとき、私は胸がいっぱいになりました。息子だって、自分の仕事や生活がある一人の社会人です。それでも、お姉ちゃんにもう一度挑戦してほしい。ここで諦めてほしくない。そんな思いから出た言葉だったのだと思います。
親の私たちだけではありませんでした。弟もまた、姉の努力を見て、姉の夢を応援していたのです。
飛行機代を出すから、もう一度。
その言葉には、金額以上のものが込められていました。
「まだ終わりじゃないよ」
「もう一度、挑戦してほしい」
弟なりの、精いっぱいの応援だったのだと思います。家族だからといって、いつも上手に励ませるわけではありません。何を言えばいいのか分からないこともあるし、どう支えればいいのか分からないこともあります。
それでも、誰かが苦しんでいるとき、何とか力になりたいと思う。
聖書には、こんな言葉があります。
「互いの重荷を負い合いなさい。」
(ガラテヤ人への手紙 6章2節)
この5年間は、娘一人の戦いではなかったのです。

4回目の挑戦。ついに届いた知らせ
そして迎えた、4回目の挑戦。
ついに、合格の知らせが届きました。
ただただ、よかったと思いました。ようやく、この日が来た。
娘が自分で選んだ道を、最後まで歩き抜いたのです。
人生は、ここからでも始められる。
人生は、思いどおりにいかないことばかりです。何度挑戦してもうまくいかないこともある。自分には無理なのではないかと思う日もある。
それでも、諦めずに一歩を踏み出すこと。誰かの背中を押すこと。そして、誰かに支えてもらいながら歩き続けること。
その先に、思いもよらない景色が待っていることがあります。
G3sewingのものづくりも、同じです。
一つひとつ、手を動かし、積み重ねていく。すぐに結果が出なくても、できることを続けていく。G3が82歳からミシンを始めたように、人生には、何かを始めるのに遅すぎるということはないのかもしれません。
そして、この5年間で、私たち家族も改めて教えてもらいました。
これからもG3sewingは、家族で一歩ずつ、歩んでいきます。





コメント
まだコメントはありません。最初のひとことをお寄せください。