2026年1月。
「なんか、腰が痛い。」
B3がそう言い始めました。
普段から元気印。ちょっとやそっとのことでは弱音を吐かないB3が言うので、
「え??どうしたん??大丈夫?」と心配になり病院へ付き添う。
それから2月4日。B3、緊急入院。なんと圧迫骨折が2か所ありました。
そのまま緊急入院。全治3ヶ月圧迫骨折。
そして、その間に今度は88歳のG3に、異変が。
不穏、そして「せん妄」。
せん妄というのは、病気そのものによる認知症ではなく、入院などによる急激な環境の変化や体の状態の変化によって、一時的に混乱したり、時間や場所が分からなくなったり、普段とは違う言動が出たりする状態です。
詳しくは、こちらのブログでも書きましたが、「自宅療養に変えてください。」と無理矢理B3を退院させることに、、、💧

そんな2月でした。
ところが。3ヶ月後、回復状態を確認する検査(CT検査)、B3の腎臓に直径6cmの大きな肉腫があることが分かりました。
5月。
そこから長い長い検査が始まりました。
近くの大きな病院へ何度も通い、検査、検査、また検査。
そして、長い検査の末に分かったこと。腎臓に悪性肉腫(がん)がある。腎臓を摘出する必要がある。しかも、腎臓を包む膜の中あちこちにも悪性脂肪肉腫が散らばっていると。
三重県の病院では対応が難しいということで、愛知県がんセンターへ紹介状が出されました。

7月。
片道1時間半。
何度も何度も愛知県がんセンターへ通いました。そして、ようやく手術の日程が決まりました。
「これで手術ができる。」そう思った矢先。
医師のカンファレンスで、「肺にある影が、肺結核の可能性があります。」とのこと。肺結核だった場合、空気感染する可能性があるため、手術をしてはいけない決まりとのこと。
そのため、「肺結核ではないと確実に分かるまで、手術は延期します。」
またです。また、振り出し。
愛知県がんセンターから、三重県の病院へ。
肺結核の検査のために、1週間、毎日、痰を届けました。車で届けなければならないので、毎朝、私がB3の痰を持って病院へ。
そして、培養検査の結果を待つ。毎日、毎日。
結果は……陰性。ほっとしました。でも、まだ終わりではありません。今度は肺気胸カメラ検査。肺を洗浄し、その洗浄した液を検査するとのこと。
しかも全身麻酔にもかかわらず、まさかの日帰りとのこと。
麻酔からまだ完全に覚めきっていないB3を、
「連れて帰ってください。」

と言われました。まだ意識も朦朧としているB3を車椅子に乗せ、

車を取りに行く。
初任者研修を10年くらい前に受講したものの、実践経験などない私は、車椅子の操作に自信がない。
この場で自白するが( 絶対に姉たちが知ったら怒られる案件)車椅子のブレーキを掛け忘れ、車を取りに行くわずかな隙に、意識がもうろうとしたB3をのせた車椅子が、ゆっくりと動き出しているではないか!!!!!

54歳、バスケットボールをしていた中学時代以来の猛ダッシュで、B3の車椅子を止めた。危機一髪、、、B3を病気で死なせる前に、こんなところで事故死させるとこであった。。。
一方で、私の車のドアは開けたまま、、、。
この時は、本当に辛かった。今でも、あまり思い出したくないくらいの、辛い思い出です。
さて、その検査でも、「肺結核ではない。」ということが、ようやくはっきりしました。
そして9月。
再び愛知県がんセンターへ。
手術前の検査をすべて終え、9月8日、入院。そして、9月9日、手術。4時間の予定だった手術は、腎臓だけではなく、検査で調べていた以外の場所にも悪性肉腫が散らばっていたため、すべて取り除くことになり、なんと7時間かかりました。

長かった。
本当に長かった。

そして9月16日。
B3、ようやく退院しました。
9日間、四人姉弟作戦。
実は今回の入院には、もうひとつ心配なことがありました。
2月の入院の時、G3にせん妄が出たこと。またG3が不安定になったらどうしよう。
そこで、四人姉弟で作戦会議。
今回は、
「G3を一人にしない。」
を合言葉に、みんなで交代しながら毎日泊まりました。
「食事は絶対大事! 」という料理が得意な次女が担当。毎朝飲めるように、野菜スープを作って冷凍。泊まり込みも、ほぼ次女。

ケアマネさんや担当医とのやりとり、昼間の見張り役、B3のお見舞い。手術の日の付き添い、入退院の送迎、G3をなだめる係、励ます係。

食前は、必ずG3とお祈り。
4人も産み育ててくれたG3とB3に感謝。そしてみんな県内に住んでいることに感謝!そんな9日間でした。
四人姉弟で力を合わせて、
なんとかこの9日間を乗り切りました。
そして2026年9月16日退院。

完全に摘出と、取り除くことができ、放射線治療も必要なく、食事も、日常生活も、今まで通りに戻っていい。とのこと。
本当に、本当に感謝です。
B3、
本当にお疲れさまでした。
G3は88歳。
B3は84歳。
これから何十年も、とは言えないけれど(笑)、
一日でも長く、一日でも多く、一緒に笑って、また明日を迎えられたら、それでいい。
「人生は、ここからでも始められる。」
G3のこの言葉を、今度は私たち自身にも言い聞かせながら。
今回、SNSを通して本当にたくさんの方々から励ましをいただきました。どれほど心強かったか分かりません。本当にありがとうございました。
そして、あらためて思いました。
G3sewingのバッグは、やっぱり「奇跡のバッグ」なんだ。
82歳から始まったG3のものづくり。そのバッグが、誰かの手に渡り、誰かの心に希望を届けていく。
「人生は、ここからでも始められる。」
そんなG3の生き方が詰まったバッグだから。
「見よ。わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」
— イザヤ書 43章19節

















