G3sewingストーリー

はじめまして

  1. ごあいさつ
  2. なんでG3sewing!?
  3. なんで82歳からミシンを?!
  4. 初売り上げは200万円?!
  5. がま口バッグまでのロードマップ
  6. 友達からの支援、大量の高級ネクタイ
  7. コロナ給付金のゆくえ
  8. Twitterとあめりかんどりーむ

1、ごあいさつ

G3sewingを見つけていただいて、とても嬉しく思います。

このサイトを運営していますkikiです。G3とB3の三女、1972年生まれです。

生まれた時からずっと貧乏だった記憶しかない私たち🤣。貧乏と病気しか縁がなかった両親ですが、私たち子ども家族が通う教会でクリスチャンになりました。

生きがいすらなかった80代の両親が今、新しい世界を生き始めた様子を見て頂き、「始めるのに遅いことは何もない。」「老後2,000万円貯蓄なくったてこんなに幸せ!」という、希望と勇気と励ましをお届けできたらうれしいです。

2、なんでG3sewing?!

G3がミシンを始めたころ、

出来上がった作品を見ては、「80代のじーさんが作っとる。じーさんのそーいんぐやん!」

とからかっていたのを、ちょっと英語っぽくG3sewingと名付けたという訳です。

「ばかにされとる笑。」と最初G3は言っていましたが

Twitterでネーミングを褒めて下さる方もいて(ありがとうございます!)

今では、G3も私もすごく、すごく気に入っている名前です。

3、なんで82歳からミシンを始めた!?

ずばりひとことでいいますと、

「生きるため」

大袈裟に聞こえますが😅ほんとうです。

G3晩年は病気のオンパレードでした。大腸憩室で大腸を半分摘出、大動脈解離で生死をさまよい、糖尿病も患い、その影響で鬱病と感情のコントロールが難しくなってきました。特に落ち込むと、「死にたい。生きていても意味がない。みんなに迷惑かけとるだけや。」とよく言っていました。生きていても迷惑やから、、、と家出や自殺未遂も多々ありました。その度に家族は大騒動となり、、、

ご想像にお任せしますが、そんなこんなのジェットコースターに乗っているような半生。(その後クリスチャンになった経緯もまたいつかちゃんと書きたいと思います。)

いつ訪問してもパジャマ姿でベッドに横たわる姿。

そんなことで、少しでも昔の電気工事士の魂を思い出してもらおうと、壊れて捨てようと思っていたミシンを「ちょっと直してよ。」と持ち込んで、ベッドから這い出させたという訳です。

昔の職人魂がよみがえったのか、はい、あっという間に直してくれました。

こちらは、G3sewingになって元気になってからの写真ですが、こんな感じでした。

それで、ちゃんと動いたか動作確認をしてもらうのに、上糸と下糸のかけ方を教えて、縫ってもらったというわけです。昔からものづくりが得意で大好きだったからか、布を瞬く間に縫い進めるミシンにひたすら感心するG3。

「試しになんか、縫ってみたら?」としばらくミシンを置いていくことにしました。正確にいうと、(持って帰るのがめんどくさかった😅!)

これが、G3とミシンとの出会いです。

ほぼほぼ半分死んでいたようなG3が

「生きるため」、天から与えられた使命との出会いの瞬間

だったとだと思います。

4、初売り上げは200万円?!はじまりは聖書カバー

「なんか作りたいなあ。」とG3が言うので、以前に私が母へ作ってあげた聖書カバーを見せて(めっちゃシンプルな、ただのカバー)「これやったら、作れるんちゃう?」と助言。

電気工事士の気質からか、すぐに分解😭。「おお、これならまっすぐ縫うだけやな、簡単そうや。」と大口をたたくので家にあった端切れを少しあげて、1個作ってもらいました。

出来上がったらすぐ、私の携帯に電話してきた。しかも仕事中。めったにかけてこやんのに、死んだのか?と思うくらいドキドキしたのを覚えています。

さて、見に行くとめっちゃ嬉しそうに見せて、パジャマ姿でもなく、いつもよりだいぶ元気な様子。

B3や同居の姉も、「ミシン、楽しそうやったよ。」と。

出来上がった聖書カバーはかなりブサイクな出来。「返し縫い」という技術を知る由もないので端からすでほどけてきそう。返し縫いを実演して教えたら、「このミシン、バックもするんやな、すごいな。」と感動している。

「楽しいな、もっとなんか作りたいな。」と言うので、

自宅の生地をたくさん持ち込み「じゃあ、聖書カバー、うちの家族分の4枚作って。」と。

3日後、また電話が鳴る。「出来たよ!」

4枚どころではない。数えてみたら18枚

「こんなに作ってどーすんのよ?!」

私は、怒りと呆れる感情が入り混ざって、なんか泣けてきたのである。結構気に入っていた生地なのに。1m800円したのに。

「こんなに作ってどーすんのよ?!」

「こんなに作ってどーすんのよ?!」

「こんなに作ってどーすんのよ?!」

この言葉しか、出てこん。出てこん!

ということで、、、どうなったかと言いますと。

与えられた解決策
所属教会の運営する創造博物館内のショップ

聖書カバーいる人おるやん?ここで売ってちょうだいよぉお。と懇願し強引に置いてもらうことに。

お情けで、身内が1枚購入。笑。この売り上げ金がG3の手に。

G3は今でも、あの日売り上げ金を手にした喜びを覚えているそうです。

「あの時もらったお金は、

200万円くらいの価値があったよ。

本当にうれしかった。」(だってG3、もらえる年金は、月3万円。貯金額もほぼゼロやったでね。)

ノアショップさん、ありがとうございました。

5、がま口バッグまでのロードマップ

この頃の普段のG3は、薬のせいもあって、感情の起伏も激しい。落ち込みもひどい。毎食前にインシュリンの注射も打たないといけない、などの理由で、ほとんどの時間を家で過ごしていた。

耳も遠くなってきているからTVの音量も大きい。

同居する姉からの願いで、「ちょっとkiki(私)、G3さ、ミシンしてるとさ、TVつけないし、夢中になれるから、なんか、ほかにも作らせといてよ。」と、無茶なことを頼まれるように。

  • 簡単
  • 売れそう
  • G3でも作れる

こんなことをG3と毎日考えるようになった。

コースター!!!

そこで思いついたのはコースター!切り替えをしてスタンプを押すのだ。かわいい。

キルト芯をはさむ、という新しい技術。安定のしないフワフワしたものをはさむので、結構難しそう。キルト芯という聞いたことのない言葉が腑に落ちないらしく、「ワタが、ワタが。」と何度も。そのたびに、「ちゃう、キルト芯な。」

とりあえず、5個くらい作ってみたら?と言い残す。

はい、案の定、出来上がりの連絡が来て、G3が作ったのは、

26個!!!!!

わたしは、もうこれはかなりのプレッシャーになってきた。売れないプレッシャーとの戦いである。仕上がりは5割ほど、スタンプがゆがんでいる。逆さまに堂々と押されているのだってある、のだ。

それをまた直して、ショップNoahへ売り込みをする、、、

一方のG3は、うでに黒いアームカバーを付けて、小さなコタツ机で、ひたすらに座ってミシンを動かしているのだ。まだ作る気か?!

コースター、1個も売れない現実。ただただ大量に作られ並べられるだけのコースター。

生活必需品でもないからねぇ。そらぁ売れやんわねぇ。撃沈の私とは対照的に

「次は何作る?」

と意気揚々なG3。

もう少し実用的なもの、ということで私もふくめ、女の人はポーチが好き。いろいろと持ち歩くのにいくつあっても困らないし。ということでポーチをつくることに。

しかし、ここでG3は難題に向き合う。

ジッパーだ。

ぺたんこポーチ イラストは孫娘のスケッチブックから。聖書の言葉をそえて。
裏地付きぺたんこポーチ

G3の悪戦苦闘がはじまる。100均で買ったB3のジッパーポーチを分解。

分解しても縫う順序が分からない。

試行錯誤の結果、ようやく完成したらしく、嬉々揚々といかに苦労したかを聞かせてくる。そしてこれも例の如く、

G3大量に作る▶︎

G3から出来たよコール▶︎

なんとか売れるようにタグなどをつけて工夫し▶︎

お店へ▶︎

売れない

このころから、材料費が重く肩にのしかかる、、、無限ループのはじまりだった。

材料費がかかる
売れない
G3は大量に嬉しそうに作る

わたしの気持ちと裏腹に、

G3は得意だった製図の技を生かし、今度は設計を始めた。そして財布を作り出すのだが、悪戦苦闘。

うまく作れないのが悔しいらしく、さらにミシンに没頭する。

作っては見せる▶︎ダメだしをされる▶︎誰かにあげる▶︎作っては見せる▶︎ダメだしをされる▶︎誰かにあげる

おそらく10回くらいは繰り返し、それでも納得のい仕上がりにならない。

そのうち、同居の姉からは苦情がくる。

「あのねー、あのG3の作った財布、私要らんから。要らんのに、出来たであげるって、何個も渡してくるの。うまく作れやんらしくって、もうミシンに没頭しすぎて、脚、浮腫んでるよ!もっと、簡単なの作らせといてよ!」

財布作り禁止命令が発令。

がま口バッグへと至るまでにはこのようなストーリーが延々と続くのでした。

ちょっと書き疲れたので、またの機会に。(つづく)

6、友人からの支援

ポーチを作り出した頃から、すっかりG3はミシンのとりこに。

作りたい▶︎でも売れない▶︎生地を買うお金がない。

家中の、生地をいろいろと使い始めたのもこの頃です。

使っていないカーテン、座布団カバー、B3の自転車カバー、シーツなどなど

あらゆる生地がポーチに。

「けどG3!人に買ってもらうために作ってるのに、そんな生地で作っては

だめなんじゃ〜〜〜〜!!!!!」

糸代やジッパー代ばかりが飛んでいく。泣けてくるし、負担が肩にのしかかるころ、

その様子を見かねたG3の友人が

ダンボールにいっぱい、退職して使わなくなった高級ネクタイを送ってくれました。

B3とG3はネクタイをほどいて1つ1つ繋ぎ合わせてうれしそうに様々なものを作り出す。

内側に水に濡れても平気な自転車カバーをつかってポーチを「お弁当入れに使いな。」と私の主人にくれた。

「柄と柄を合わせるなんて!」と、ついダメ出しをしてしまった私ですが、今思うと、すごく上手になったし、「生地が喜んどる」と大切に大切に使っていたG3をもっと褒めてあげたら良かったと、思います。ごめんね、G3。

ちなみに、内側に使われた水に濡れても平気な自転車カバーは、B3が毎日使っていたB3の自転車カバー。朝起きて自転車からカバーが無くなっていて初めて判明したらしい。

「私の自転車カバーがないいーーーーーー!!」

G3はベロを出している。。。

7、コロナ給付金のゆくえ

だんだんと腕を上げてきたG3。

同居している長女は、訪問介護の仕事柄、荷物が多い。毎日かばんを3つ4つ持っていく。そんな娘を見て、作ってあげたポケットいっぱいのトートバッグがすごくいい出来に!これには私も感動!感心!すごいわ。

パジャマでいつも寝ていた頃とは全然違って、いつもアームカバーを両腕にはめてミシンに向かうG3。熱心に使う人の気持ちを考えているものづくり。だんだんと尊敬に変わってきたのもこの頃。そしてとても楽しそう。まだまだ健康も心も不安定な時があるけど、ミシンに向かっていると無心になれるらしい。がま口財布にも挑戦して、失敗を幾度も幾度も繰り返しながら、とても素敵ながま口バッグまで完成させた。

そんなG3を見ていて、次女はこう言った。

次女▶︎「わたしら(姉妹3人)の給付金を10万ずつ出し合おう!G3が思いっきりミシン出来るように!好きに生地を買えるように!」

長女▶︎「そやなー。出資というやつか。見返りのない出資になるやろけどな。」

私▶︎「ええぇええ💦全額はちょっと、、、半分の5万円なら😅。」

こうしてG3sewingが立ち上がりました。資本金15万円で。

8、Twitterとあめりかんどりーむ

トートバッグ、がま口バッグをコツコツと制作していくものの、やっぱり全然売れませんでした。G3が一生懸命作ってます、とPRして友達とか、職場の人が買って下さり少〜しずつ仕事を頂けるようになりました。

そんなころ、大学生の息子(G3の孫)が、作っても作っても売れない現実、材料費だけがどんどん必要となり頭を抱える私をみかねてTwitterのアカウントを作ったのです。

忘れもしない2020年7月28日

未経験からミシンを始めた後期高齢者82歳、G3sewingが世に出た瞬間でした。

天から生きる使命を頂きました。

そして、ここから新しい人生がスタートしました。全然売れなかったのに、注文が殺到し、「あめりかんどりーむみたいや!」とG3が嬉しそうに笑いました。

こんな病気ばっかりで、貧乏生活ばっかりで、職人気質の性格で人とぶつかることが多かった

G3が、希望と勇気を発信し始めることになった第一歩が始まったのです。

詳細のストーリーがエッセイ本になりました😊↓↓↓(2022年8月8日 KADOKAWAより発売されました)ぜひお読みください♪