最近、テレビで取り上げられることが多くなりました。
エッセイ本を出版させていただいてからでしょうか、Yahoo! JAPANに取り上げられてからいろいろなところのテレビ取材、新聞取材を受けるようになりました。
大変ありがたいことです。
取材を受けている時間があれば、1つでも多く、バッグを作りたいというのが本音ですけどG3が言うには
せっかくの取材のお話を、断るのは失礼やし、こっちを受けて、あっちを断るとか、そんな生意気なことは出来やんで、元気なうちは受けるよ。
と、言うことで、10月も11月もいろいろなところから取材を受けました。
がま口バッグ完成にまで至るストーリーは、こちらをご覧ください。
そのなかで、いつもプロデューサーさんから、G3に聞かれるのは、
「どうして途中であきらめなかったのですか。」
です。
ミシンでの制作が苦戦していたころ、作っては娘や孫にあげて、「要らない。」と言われてるのに無理やり持ち帰らせ、また、作る、うまく作れない、娘や孫にあげる、「要らない。」と言われるのに、持ち帰らせて、また作る、、、、を繰り返していた。
「どうして途中であきらめなかったのですか。」
そう言われてみれば、本当にそうです。
どうしてあきらめなかったのか、普通なら、、あきらめるのに😅その質問の答えは、いつもG3はこう答えます。
「技術屋」としての執念です。
いつ、誰に聞かれても同じようにこう答えている。「技術屋」としての執念、って言われても技術屋ではない私にはイマイチよく意味が分からなかったのですが、最近になってなんとなくわかるようになってきました。
G3は17歳の頃から、父親と一緒に、テレビやラジオを組み立てていたそうです。「技術屋」としてのG3の父親は、決して組み立て方を教えてくれなかった、言っています。
うちの親父は、「自分で考えて苦労して理解しろ」と絶対に教えてくれなかった。配線が一本でも間違っていると、テレビは映らない。ラジオは音も鳴らない。そやから、配線の間違いを親父が見つけると、俺がトイレに行っているあいだに、つなげた配線を全部ペンチでパチパチッと無言で切られた。
そやから「チキショウ、チキショウ、いつか親父よりも1台でも多くテレビを組み立てられるようになってやる!あんな親父になんか聞くもんか!」
って思ったよ。悔しかったんさ。
この話は、昔からよく聞いていたことなのですが、母親に暴力を振るっていた父親を嫌っていたこともあって、この話をするときのG3は、父親への恨みつらみのように聞こえていました。
でも、最近TV取材を受けるようになり、
「あきらめなかったのは、あの親父のおかげかなあ。ミシンを教えてくれる人がいなかったのもそれと同じで、自分で失敗しても何回も挑戦してきたのは、テレビを親父と組み立てたいた頃に似とるかもしれんなあ。たぶん親父に「技術屋としての執念」が育てられたんやろなあ。
G3、父親のこと嫌っとったけど、仕事人としては「技術屋」を育ててくれたということやから、まあまあ良いところもあった人なんやねー。
そうかもしれやんなー(苦笑)
ということで、G3は84歳にて、少しは父親を許せるようになったようです。
テレビの取材を通していろんな質問をされるので、言葉に出しているうちにいろいろな気づきも与えられたいる日々です。84歳で父親を多少許せるようになったG3は、心が少しずつ癒されていっている模様です。
明日は、息子に温泉に連れていってもらうと喜んでおります😊
G3のお父さんが職人魂を育て上げてくれたんですね(`・∀・´)
チャンガラおばちゃん様。コメントありがとうございます。そうですね。育て上げられたみたいです😊よかったです。